「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

「問いかけられる」ことに慣れていない?!

【「問いかけられる」ことに慣れていない?!】

 

研修などで、

 

「このことについて、どう思いますか?」

「こんなことに対しては、どんな風に感じますか?」

 

受講者の方に問いかけることがよくあります。

 

こんな時、大抵は

 

「・・・・・」

 

反応がない場合が多いです。

 

大人数の前で発言しにくいこともあるでしょうが

少人数でも大体同じようになります。

 

実は、1対1の場合でも、似たような反応になることが多いです。

 

どう答えていいか迷っているように見えます。

 

実際、私が逆の立場の時も似たようなものでした。

 

自分なりには何かしら思っていることがあるにも関わらず

それを言ってもいいものかどうかで逡巡していたりしました。

 

どうも私たちは「問いかけられる」ことに慣れていないのかもしれません。

 

小さい頃のことを振り返ってみると、

「問いかけられる」ことが、意外と少なかったように思えます。

 

常に、親や先生という正しい方向へ導いてくれる人がいて

その人の言うことを聞いてさえいればよかったです。

 

何か「質問される」ことはありましたが、

それは「教わったことが理解できているかを試す」ためのものでした。

 

質問されたら

「正解」を答えなければいけません。

 

「不正解」なら叱られたり、怒られたりしてしまいます。

「答えられない」場合も同様です。

 

「質問」には、正しく答えなければいけませんでした。

 

だから、「正解」かどうか自信がないことは答えづらいです。

 

冒頭のように「問いかけている」場合は

「正解」を尋ねているのではありません。

 

そもそも「正解」や「不正解」などなく、

それぞれがどのようなことを思っているのかを訊いているだけです。

 

こうした「問いかけ」に対して、

どのように対応したらいいのかわからないような感じになっています。

 

ただ話せばいいだけなのに、それがなかなか出来なかったりします。

 

また、「質問される」ことに慣れていると、

 

「聞かれたら、必ず答えなければいけない」

 

と思い込んでいることもあるようです。

 

もう少し正確に言うと、

 

「相手の話を聞いたら、

 相手が求めていることを

 必ずしてあげなければいけない」

 

と言うように無意識に感じていいるようです。

 

相手の話を聴いてあげるだけで良いのに、

 

不平・不満を聞いてしまったら、

それに対して何かしなければいけない

 

自分ではどうしようもないこともあるので

聞いたとしても何も出来ない

 

だから、出来ればそう言う話は聞きたくない

 

と、なってしまうことがあります。

 

不平・不満を「聞いた」からと言って

必ずそれを解消することをしなければいけない訳ではありません。

 

もちろん、できる範囲で解消してあげられることがあればしたらいいです。

 

でも、どう考えても無理なこともあります。

 

そんなことすら、

聞いてしまったら自分の責任でなんとかしなければいけない

なんてことはありません。

 

「正しい」や「間違い」を決めるのではなく、

 

それぞれの「違い」を理解し、共有すること

 

が、本来、コミュニケーションの果たす役割の一つだと思います。

 

そうしたコミュニケーションがうまく出来ていないとすると

 

「問いかけられる」ことに慣れていない

 

ことも考えられます。

 

「正しさ」にとらわれず、

 

互いの考えや感じ方を共有するような場

 

を創り、

 

そこで互いの共感を得られるような経験すること

 

が、自分のコミュニケーションのレベルを向上させます。

 

私の研修では、テーマはどのようなものであれ、

こうした「場」を体感してもらうことを大事にしています。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

  

では、また。