「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

「効率」と「効果」

【「効率」と「効果」】

 

「・・現代人は目標を設定することの利点ばかり焦点を合わせ、その欠点を考えようとせず、問題を悪化させてきた。確かに目標を決めればモチベーションもわくのだから、それが有効な方策だったことは否定しない。人間は勤勉で高潔で健全に生まれてはいないので、隙あれば時間とエネルギーを出し惜しみしたがる。だが、その性癖を抑えて勤勉でいるための方策は、いつの間にか行きすぎてしまった。今の私たちは目標をいかに効率よく時短で達成するか、そのことばかりにこだわって、危機感を覚えて一時停止する能力を失っている。・・・」

(「僕らはそれに抵抗できない」アダムオルター ダイヤモンド社

 

今、読んでいる本から抜粋しました。

 

「・・・目標をいかに効率よく時短で達成するか・・・」

 

確かに、私たちの多くは、このことがとても大事なことのように思い込んでいます。

 

実際、自分もそうでした。

 

こんな風に書くと、今はそうではないように見えますが

決してそんなことはありません。

 

やはり、どれだけ効率よく進められるかが大事なことだ

と無条件に思い込んでいる時も多いです。

 

でも、それが本当に全てなんだろうか?

それが全てにおいて正しいことなのだろうか?

 

一方で、こんな疑問もいつの頃からか持ち続けています。

 

どうも、私たちが受けてきた教育のシステム自体が

「効率」を一番とするようにできている気がします。

 

テストでは、早く正解にたどり着くことが試されます。

 

物事の優劣を決めるのは「効率的」かどうかという観点です。

 

時間内に答えにたどりつかなかったとしても

自分で考えて、家に帰ってから自分の力で答えを出せたとしたら

どうなのでしょうか?

 

決してダメなことではないはずです。

テストの評価は低かったとしても、本人の力は伸びるはずです。

 

しかし、時間内に答えが出せなかったからダメ、

ということで評価されてしまい、

その後に自分で考えることも無駄なことだと思い込み

諦めてしまったら、本来の力は伸ばせません。

 

企業などでもこんなことがよくあります。

 

部下を育てるためには、部下にやらせ方が良いが

自分でやってしまった方が早いので、

上司が自分でやってしまう。

 

その時の結果はそれで出せますが、

これを続けているとどうなるでしょうか。

 

いつまでたっても部下は成長できない

いつまでたっても上司が自分でやるしかない

上司は他の仕事(例えば、より高い視点で考えるようなこと)をする時間はない

部下に任せたいが、部下は仕事ができないまま、、、

 

「効率」を優先した結果、最終的には立ち行かなくなってしまう。

 

こんなことが実際に起こります。

 

冒頭に挙げた本で書かれているように

 

「危機感を覚えて一時停止する能力を失って」います。

 

目の前に掲げられた「目標」だけに縛られていると

この状況から抜け出せません。

 

こうした状況にならないためにも、

こうした状況から抜け出すためにも、

 

「目標」だけでなく「目的」

 

について意識することが大事です。

 

「目標」を「効率」的に達成することだけでなく

 

「目的」を実現するために、今の行動が「効果」的かどうか

 

という視点が必要です。

 

短期的な視点で見たら、「効率」は有用かもしれませんが

長期的な視点でとらえ直した場合、「効果」的でないこともあります。

 

「目的」とは、

 

「本当はどうなりたいか?」

 

という問いかけに答えられるものです。

 

今、明確な目的がなかったとしても

 

「本当はどうなりたいか?」

 

という問いかけを続けることで、

本来の「目的」が見えてくることもあります。

 

「目的」に対して「効果」的なことをしているか?

 

このことを忘れずにいたいものです。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

  

では、また。