「頑張る」はいらない!?
【「頑張る」はいらない!?】
私たちのほとんどが、小さい時から
「頑張れ!」
という言葉をかけられてきています。
当たり前にその「頑張れ!」を言われてきたので
他人に対しても、何の疑いも抱かずに
「頑張れ!」
と言います。
もちろん、私もその一人です。
しかし、いつの頃からか、
この「頑張れ!」に少し違和感を抱くようになってきました。
「頑張る」ことを強いられている
とでも言ったら良いでしょうか、、、
何か、「頑張れ!」に押し付けがましさや、
ある種の苦しさを感じているように思います。
私たちは、そんなに「頑張らないといけない」のでしょうか?
昨日読んだ本でその自分のモヤモヤが解消されました。
その本にはこんなことが書いてありました。
ここから引用です。
(1) まず、目の前にペンを用意してください。
(2) 次にそのペンをとってください。
(3)今度はそのペンを取ろうと頑張って見てください。
(4) 次に、そのペンを取ろうと努力してみてください。
(5) 最後は、ペンを取ろうと目指してください。
ここで(3)~(5)の時にペンを取ってしまっては「頑張る」「努力する」「目指す」ことにはなりません。
ペンを取ろうと「頑張る」「努力する」「目指す」ことと、実際に「ペンを取る」のは別なことです。
つまり、「頑張る」「努力する」「目指す」ということと、「ペンを取ること」は全く関係ないのです。
引用「すごい無意識」(著:梯谷幸司、フォレスト出版)
これを読んだ時に、一気に今までのモヤモヤが晴れました。
そう、「頑張る」「努力する」「目指す」は「結果を出す」ことと全く関係ないのです。
「結果を出す」ために、必要なことを「やる」だけでいいのです。
そこに「頑張る」も「努力する」も「目指す」も不要です。
ただ「やればいい」だけです。
本当に自分がその結果を望むなら、
シンプルに「やる」「実行する」「実践する」
だけです。
そこに「頑張る」や「努力」が入ってくるとしたら、
自分が本当は望んでいないのに
「いやいやながら、やらなければいけない」
と自分で感じているからです。
他人から求められていることだけをやっていると、この感覚が強くなってしまいます。
他人から求められていることかもしれないけれど、
実際に「やる」と決めるのは自分自身です。
自分が「やる」と決めたなら、
決めた瞬間から、
それは自分が「やりたい」ことになっているはずです。
そのことを忘れて、他人から言われたことをやっている気持ちのままだと、
「やらされている」という感じ方で、
「頑張って」「努力して」何とか乗り切るしかなくなってきます。
「やる」なら、自分で「やる」と決めて、あとは「やる」だけ。
このこと、改めて忘れずに過ごします。
今日もここまでお読みいただきありがとうございます。
では、また。