「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

「悪口」はなぜ気持ちいいのか。

【「悪口」はなぜ気持ちいいのか】

 

以前、たまたま聞いていたラジオの番組で

 

「最高の酒のつまみ」

 

というテーマで話をしていました。

 

ラジオのリスナーからは色々な食べ物が送られてきていましたが、

こんなメッセージがきて、DJ達が大盛り上がりしました。

 

「上司の悪口」

 

確かに、誰かの「悪口」や誰かに対する「愚痴」など

かなり盛り上がりますね。

 

私自身も、よくそんな話題をしている時があります。

 

「あの人、絶対おかしいよね、、、」

「こんなこと言うなんて、ちょっと違うよね、、、」

「普通あんなことしないよね、、、」

 

何の引っかかりもなく、そんな話をすんなり聞き入れて

そんなことを話して盛り上がってたりします。

 

ただ、そのことに最近は違和感を感じることがあります。

 

「悪口」や「愚痴」を言ってはいけないというつもりはないです。

 

そんなことを聞いてくれて、

同意してくれるる相手がいると気分がいいです。

 

この時感じている「気分の良さ」は何なのでしょう。

 

子供の頃から、

 

「他人の悪口を言ってはいけない

「愚痴は言ってはいけない

 

と教わってきたはずです。

 

それは間違ったことなのでしょうか。

 

決まりとしてそれはが間違ったことだとも思えません。

 

しかし「決まりを守る」ことと

自分が満たしたい「感情」は

必ずしも同じ方向を向いていません。

 

頭では「やってはいけない」とわかっていても

気持ちとして「やりたい」ことは別だということです。

 

この「やりたい」という気持ちが満たされるから気分が良いです。

 

「悪口」を言いたいのです。

「愚痴」を言いたいのです。

 

そして、自分が「間違っていない」と感じたい、のかもしれません。

 

相手がダメで、自分は良い

相手がおかしくて、自分は普通

相手が間違っていて、自分が正しい

 

と認めてもらいたいのかもしれません。

 

これって単なる「承認欲求」かもしれません。

 

そんな風に考えたら、

 

「自己肯定感の強い方」=本当に自信を持っている人

 

は、あまり「悪口」や「愚痴」を言わないような気がします。

 

「悪口や「愚痴」を聴いてもらうことで

「自分の自信の無さ」を「他人から埋め合わせてもらえる」から

その時は気分がよく感じるのかもしれません。

 

しかし、本質的に自分の自信の無さが解消されている訳ではないので

また、すぐに「悪口」や「愚痴」の話しになる。

 

もしかしたら、そんなことなのかもしれない、と私は思っています。

 

常に他人と比べることでしか自分を感じられない自分がいるだけなのかもしれません。

 

だとすれば、問題は相手にあるのではなく、結局、自分自身にあります。

 

それに気がついたことが「悪口」や「愚痴」に対して

私が違和感を感じるようになった理由です。

 

自分に自分でOKを出せる、

つまり、自分で自分を認められる自分に

私はなりたいと思っています。

 

そんな私に近づいたどうかを測る目安の一つが

 

「悪口」や「愚痴」を言わなくなったかどうか、です。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

  

では、また。