「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

「成長」ということについて

【「成長」ということについて】

 

「成長する」ということはどういうことなだろう?

 

今日、ふとそんなことが頭に浮かんできました。

 

仕事柄、「成長する」ことが

 

大切なことで、大事なことだ

 

と当たり前に思い込んでいますが、

 

本当のそうなのだろうか?

 

と、そんな問いが頭に浮かんできました。

 

皆さんは、どう思いますか?

 

難しく考えずに、単純に言えば

 

「成長する」

 

というのは

 

「出来なかったことが、出来るようになること」

 

と言ってもいいと思います。

 

これだけ見れば、いいことに思えます。

 

出来なかったことが出来るようになるのは嬉しいですし

自分の可能性が広がる気がします。

 

ここだけを捉えれば、確かにそうなのかもしれません。

 

しかし、

 

「まだやり切っていないまま、他のことが出来るようになる」

 

ということもあるかもしれません。

 

その場合、「やり切っていないこと」はどう考えたらいいのでしょうか?

 

「やり切っていない」ままで、他のことが出来るようになることが

 

「成長」

 

なのでしょうか。

 

例えば、「大人買い」なんて言葉があります。

 

子供の頃に好きだったけど、出来なかったことを

大人になって誰にも邪魔されないからやってしまいます。

 

漫画を全巻揃える。

プラモデルを買い漁る。

 

など、子供の時にやりたかったのに、

やれなかったことをやってしまいます。

 

実は、私もそうしたことがあります。

 

子供の頃、やりたかったんだけど親から禁止されていたことを

ついついやりたくなってやってしまいます。

 

いつまでも子供っぽいことをしていたらダメ!

 

みたいなことを言われていた気もします。

 

そして、大人らしい振る舞いや行動を強いられたりします。

 

そういうものだと思って従ってきます。

 

でも、そうした親の強制的な影響がなくなると

結局、やりたかったことをやってしまたりします。

 

いい大人なのに、今更、何やってんの

 

と思いつつも、やってしまいます。

 

そんな自分を振り返ると

 

果たして、自分は成長しているのだろうか

 

と感じたりします。

 

明らかに、子供の頃に出来なかったことで出来るようになったことは沢山あります。

 

でも、やり残したようなことを、やっぱりやりたくなってやっています。

 

そんなことを思うと、「成長」というのは

 

出来なかったことが、早い段階で出来るようになること

 

が大事ではないかもしれません。

 

小学生が大人と同じことが出来るようになることが

 

無条件で良いこと

 

だとは思えないのです。

 

「成長」はそれぞれの段階で、味わい尽くさなければいけないことがあるように思えます。

 

それを十分に味わい尽くして、物足りない感じを持った時に

初めて自分から成長の階段を登る

 

ようなこともあるのではないでしょうか。

 

効率やスピードが早いことを無条件に良いことだと思っていると

このことに気づかないかもしれません。

 

自分が本当に味わい尽くしていない段階で

外から強制的に新しい段階にあげようとしても

結局は戻ってしまうもののように思えます。

 

「成長が早い」ということが素晴らしい訳ではない

 

と私は感じています。

 

その時その時で必要な経験や味わうべきものがあるのだと思います。

 

それを端折って、見かけだけ成長させても

結局は本当の「成長」にはなっていないのではないでしょうか。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

  

では、また。