「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

助けてもらってもいいじゃないか!!

【助けてもらってもいいじゃないか!!】

 

私は仕事上、いろんな方のお話を聴くことが多いです。

 

関わる方がよりよく過ごせるように、一緒に考えることをしています。

 

そんな事をもう何年もしていますが、

以前から感じていたことがあります。

 

苦しい状況に陥っているほとんどの方が

 

「自分の力だけで何とかしなければいけない」

「助けられてはいけない」

「助けを求めてはいけない」

 

と思い込んでいるようです。

 

そんな事を言う自分自身も、実はその傾向が強くあります。

 

確かに、自分の力だけで乗り切れることは素晴らしいことかもしれません。

 

ここで

 

「~素晴らしいことです」と書かずに

「~素晴らしいことかもしれません」と意識的に書きました。

 

自分のことを振り返った時に、

ある「思い込み」に支配されていたように感じているからです。

 

その「思い込み」とは

 

「強い」ことが正しく、「弱い」ことはダメなことだ

 

というものです。

 

「強い」も「弱い」も相対的なものでしかありません。

 

何らかの基準に基づいて

相手と比べて「強い」か「弱い」かだけです。

 

何らかの基準で

上にあるものを強い、下にあるものを弱い

と言っているだけです。

 

強いものだけが残っていくような社会だとしたら

明らかに全体は小さくなっていくはずです。

 

最終的に一人の勝者しか存在できないようなことになってしまいます。

 

「強い」「勝者」だけに価値があり

「弱い」「敗者」には価値がない

 

以前の私は無条件にそう信じ込んでいたようです。

 

でも、本当にそうだろうか?

 

自分の弱さに向き合った時から、少しづつ私の考え方にも変化が出てきました。

 

自分が弱く価値がない者だと思いたくないから

もしかしたら屁理屈をこねているだけかもしれませんが

今の私はこう思っています。

 

人類は「強い」方向に進化してきたのではない。

 

ここでいう「強い」とは「個体としての強さ」です。

 

私たちは生物として見た場合に、

明らかに大型の肉食獣よりも「弱い」存在です。

 

そんな「弱い」存在が生き残っていくために

「個体を強くする」という方向に私たちは進化していません。

 

「弱い」存在が「助け合うこと」を通じて、全体として繁栄してきています。

 

人類は「個を強くする」という方向ではなく

「皆で生き残る」という方向でここまで進化してきたのではないか

と私は思っています。

 

「強さ」も「弱さ」も言ってみれば、ただの個性みたいなもので

「強いか弱いか」で絶対的な価値が決められるものではないと考えています。

 

だから、

 

「弱くたっていいじゃないか」

 

と思うし、

 

「助けてもらってもいいじゃないか」

 

と心底思っています。

 

その方が本来の人間のあり方に沿ったものなのではないか。

 

苦しい時には、堂々と助けてもらいましょう。

また、苦しい状況の誰かを堂々と助けてあげましょう。

 

そんな事を本気で思っています。

 

さて、今日はこの辺で。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございました。

 

では、また。