「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

「個」の頑張りに依存し過ぎない

【「個」の頑張りに依存し過ぎない】

 

今日はダライ・ラマ14世の言葉を紹介します。

 

腕と足は

違う役割のものです。

 

しかし、足に不具合が生じれば、

自然と手がその役割を補うものです。

 

同じように、

この社会のどこかで不具合が生じたら、

私たちは助けにいかなければなりません。

 

なぜなら、私たちは

皆で一つの命を生きている存在だからです。

 

ダライ・ラマ14世)

 

私たちの受けてきた教育は

 

「一人できちんとできるようになりなさい」

 

というものです。

 

皆が、同じようなことができるように求められます。

 

一人一人が自立していくためには必要な考え方なのだと思います。

 

しかし、そのことを強く求めすぎると

 

「助け合う」

 

ということが薄れていってしまいます。

 

テストで分からないことがあっても、

誰かに聞くことも、誰かの答えを見ることも禁じられています。

 

当たり前のことです。

 

しかし、こうした経験を多くしていると

仕事などでも、分からないことがあった時に

他人に助けを求めることが苦手になっていたりします。

 

実は、自分がそうです。

 

ちょっと誰かに聞けばすぐに解決するようなことでも

自分で調べようとして多くの時間をかけてしまったり、、、

 

誰かに助けて貰えばすぐにできることでも、

それが言い出せずに一人で抱え込んでしまったり、、、

 

振り返ると、そんなことがたくさんあります。

 

一人でどんなことでも出来るようになることは素晴らしいことかもしれません。

 

しかし、一人でなんでもやれるようになるというのは

現実的にはあり得ません。

 

私たちは、一人で生きていけるものではありません。

 

人類は群れを作ることで、つまり他人と協力することで、

他の生物と違い、ここまで進化してきた

 

したがって、人間の遺伝子には「他人と助け合う」という

ことが本能として刻み込まれている

 

などという研究もあるそうです。

 

自分から何もしないで他人に依存してしまうことは良いことではありません。

 

しかし、自分でやってみてうまくいかないことや出来ないことを

他人に助けてもらうのは決して恥ずべきことではないと思います。

 

また、そうした困っている人たちの力になってあげるのは

決して何か損をすることでもないと思うのです。

 

人間本来の進化の過程を振り返ると、

 

「助けあう」

 

というのは、極めて自然な人の特性だと思います。

 

やろうとしても上手くいかない時はあります。

 

そんな失敗を責めたりするのではなく、

最後までやり切れるように支えてあげる。

 

そんなことが必要だと思いますし、

また、失敗した当人も必要以上に自分を卑下することなく

堂々と助けを乞えたり、素直に助けを受け入れられる。

 

こんな関係性が「人」も「組織」も活性化させていきます。

 

先日、たまたま見たドラマの中のセリフがとても心に響きました。

きちんと覚えていませんが、こんなことを言っていました。

 

「ミスが許されない社会が正しいのではない」

「ミスしても許される社会の方が必要なのだ」

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

  

では、また。