「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

「競争」を煽られると、、、

最初に誤解のないように言っておきますが、私は「競争」を否定していません。

 

幼稚園の運動会で、「みんなで手をつないでゴールする」ことで順位をつけない、

というようなやり方はちょっと違うと思っています。

 

競争することは、自然なことだと思っています。

 

ただ「競争を煽る」ようなやり方や

「他人から煽られて競争する」ということには

すごく違和感を感じます。

 

本人にとってみれば、

「競争している」のではなく「競争させられている」

という状態です。

 

人間には自己保存の本能があるので、つまり「死にたくない」ので、

人と競争して打ち勝ってでも生き残ろうとすることは当然です。

 

これは「生き残ること」が本来の目的であって

「相手を打ち負かすこと」が目的ではない

と思うんです。

 

生き残れさえすればいいのであって、

相手を徹底的に打ち負かす必要は本当はない

のではないでしょうか。

 

「競争」を煽られてばかりいると、

「勝ち負け」という判断基準

しかなくなってしまいます。

 

「勝利」にこそ意義があり、「敗北」はなんの価値もない。

 

「勝ち負け」は常に二者択一です。「勝つ」か「負ける」かしかありません。

 

自分が「勝つ」ためには、相手が「負け」てくれなければなりません。

 

こうなってくると相手と助け合うなどという事は絶対にありえません。

 

人間が本来持っている「誰かの役に立ちたい」=「貢献する」という本能が

どんどん抑えつけられているのではないでしょうか。

 

本来備わっている本能に背いた事なので、

何故か他人を蹴落としてまでも「勝つ」ということ

に苦しさを感じてきたりもします。

 

でも「勝つ」という基準でしか良し悪しが判断できなくなっているので

自分の心の声に背いて行動し続けるしかない、、、

本当にこれでいいのだろうか、、、

そんなことで悩んだり、

「悩む」ことから逃げ出すために

「何も感じない振り」をし続け、感受性もどんどん衰えてしまう。

 

本来「競争」というものの効用は、

「自分の力を最大限に発揮する」もしくは「自分の最大値を伸ばしていく」

ためであり、

「成長」のための「手段」の一つに過ぎない、と私は感じています。

 

自分が自分の力を高めるため、つまり「成長」するために、

 

その手段を”自ら”「選ぶ」。

 

これであれば、お互いの力を高めあっていく

健全な競争が繰り広げられると思います。

 

自分の力を高めるためではなく、ただ相手に勝つ為だけなら

相手の邪魔や妨害をするような競争に陥ってしまいます。

 

こうした競争を煽られている状態で

「人」や「組織」が活性化する

ことはほとんどありえません。

 

今日もお読みいただいてありがとうございます。

 

では、また明日。