「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

「自責」と言う言葉について考えてみた

【「自責」と言う言葉について考えてみた】

 

今日の東京は暖かな日でした。

もう少しで桜の開花宣言も出そうです。

 

4月になると、、、

 

新入社員研修の最盛期

 

になります。

 

私自身は、研修講師と言いながら、

新入社員向けにはほとんど登壇することはありませんが

ほとんどの研修会社は一年で一番忙しい時期です。

 

さて、新しく社会人になる方々に心構えとして

 

「自責で考えよう」

 

と言うことが伝えられます。

 

「自責」とは「自分の責任」ということです。

 

対になる言葉が「他責」です。

 

こちらは「他人の責任」、

何かあった時に他人の所為にしてしまう考え方のことです。

 

うまくいかないことがあっても「他責」にせず「自責」で考えよう

 

などといったことが言われます。

 

その通りだと思いますが、この「自責」という言葉、

どうも時々違った感じで意識されているように感じます。

 

それは「自分を責める」ということです。

 

何かうまくいかない時に「自分の責任」と感じるのはいいのですが

気をつけないと

 

全て自分が悪いんだ、になってしまいます。

 

これはきついです。

 

自尊感情がどんどん損なわれてしまいます。

 

自分で自分が認められなくなります。

 

おそらく積極性や主体性がどんどん失われていきます。

 

狭い自分の範囲の中だけのことしかやろうとしなくなってしまいます。

 

こうならないためにも

「自責」=「自分の責任」

ということをしっかりと考え直してみたいです。

 

どうも「責任」という言葉が人によっては

あまりいいイメージでない受け取り方をする場合がありそうです。

 

「責任」を追求される

 

なんて時の「責任」のイメージでしょうか。

 

テレビや新聞などでよく目にしたり耳にするのが、

この「責任追求」です。

 

失敗したこと、うまくいかなかったことの原因を人に求めています。

 

確かに、人に原因があるかもしれません。

 

しかし、こうした文脈で「責任」という言葉を使っていると

誰もが「責任」ある立場になりたくなくなってしまうかもしれません。

 

本来、こうした「責任」は何を求められていたのでしょうか。

 

本当は、

 

「途中で投げ出さずに、最後までやりきること」

「目的を達成するまで、やり続けること」

「失敗があったとしても、最終ゴールに向けて次の活動をし続けること」

 

を通して、目的を果たすことが求められていたことなはずです。

 

失敗したのはお前のせいだ、ということが目的ではなかったはずです。

 

「自分の責任」とは

 

目的を達成するために、最後まで工夫をし続けること

 

ではないかと思うのです。

 

うまくいかなかった時に自分の所為だ、と考えるのを否定はしませんが、

 

それよりも

 

「どうしたらうまくいくだろうと考えて行動をする」

 

ということをしない限り、先に進めなくなってしまいます。

 

「自責」という言葉にとらわれすぎず、

「結果」を出すための行動をとり続けることに意識を向けていきたいものです。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。


では、また。