「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

他人ではなく、自分はどうなのか?

【他人ではなく、自分はどうなのか?】

 

「批評眼は持つべし、されど批判的態度は慎むべし。

 すべからく他を批判するの眼を自己に返照しきって

 創作実現へと踏み出すべし」

(森信三)

 

時々、書いています森信三先生の言葉です。

私のとても好きな言葉の一つです。

 

最近、改めてこの言葉を思い出すようなことが相次いでありました。

 

どんなに賢くて頭が切れる人だとしても

他人に対する批判を軽々しく口にする方は

よく見ていると、自分で行動していないことが多いです。

 

「言ってることをやっていない」

 

言行不一致とも言えます。

そんなことを改めて感じます。

 

どうも私の出会った方々を思い起こしてみると

限られた私の経験ではありますが、

これに関しては例外はないようです。

 

私たちの感覚器官、目や耳や鼻やその他、は

外からの情報を取り込むために発達しています。

周囲の出来事に関してのセンサーが発達しています。

 

命の危険を回避するためには、

周囲からのリスクにいち早く気づく必要があります。

そのために自分の周囲に対して気づけるように

私たちは進化してきたのだと思います。

 

だから、私たちは他人のことには気づきやすいです。

他人の欠点や癖や短所などは自然に気がついてしまいます。

だから、他人を批判したりするのは意外と簡単にできてしまいます。

 

ところが、自分自身に対してのセンサーは普段あまり使っていません。

使わないものは感度が鈍くなっていきます。

 

他人のことには気づきやすいけど、

自分のことは気づきにくいのが私たちです。

 

特に意識しなくても、誰でも他人や出来事に対しては

簡単に評論家みたいな言動はできてしまいます。

極めて自然にそうなってしまいます。

 

そこから一歩踏み出して、周囲(他人)に対して気づいたことを

無自覚に言葉にして批判や批評するのでなく、

言葉にする前にそのことを自分自身に置き換えて考えてみる。

 

これが自分を成長させていくことにつながります。

 

「成り行きで結果的に成長した」ではなく

「自らの意思での成長」につながります。

 

そのことを決して忘れないでいようと思います。

 

そのようなことを思い出させてくれることが、最近色々ありました。

 

自分の言動はどうなっていただろうか?

無意識に批判的な態度をとっていなかっただろうか?

軽々しく他人を批判するような言葉を使っていなかっただろうか?

 

改めて、そんなことを振り返っています。

 

また、今後、自分の言葉、態度にはもっと気をつけよう、と決心しました。

 

周囲の人に対する「敬意」と「感謝」を常に思い出す。

それをベースにした「言葉」と「態度」を自分で選ぶ。

それを習慣になるまで続けていく。

 

そのことを新たに胸に刻みました。

 

今日もお読みいただいてありがとうございます。

 

では、また明日。