「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

自分で決めている

【自分で決めている】

 

「自分で決めている」

 

よくこの言葉を思い出します。

 

何を自分で決めているか?

 

自分の状態は自分で決めている

 

ということです。

 

この「状態」とは「身体の状態」ではなく「心の状態」です。

 

「心の状態」というとわかりにくいですが

それは「感情・気持ち・気分」などとして表に現れています。

 

「感情・気持ち・気分」は色々なものがありますが、

「心の状態」としては大別すれば2つです。

 

それは、

 

「心が整っている」か「心が乱れている」

 

のどちらかです。

 

さて、その「心の状態」を「自分で決めている」とはどういうことか?

 

これは、私たちの「感情・気持ち・気分」はどのようにして生じているか?ということです。

 

何もないのに「感情・気持ち・気分」は生じてきません。

 

何かきっかけとなるような出来事や他人の言動などで、

私たちの「感情・気持ち・気分」は生じます。

 

何か嬉しいことがあって、楽しくなったり

何か嫌なことがあって、イライラしたり、落ち込んだり、、、

想定外のことが起きて、焦ったり、ソワソワしたり、、、

 

出来事や他人によって私たちの「感情・気持ち・気分」は影響を受けます。

 

今「影響を受けます」と書きました。

 

出来事などの影響を受けてはいますが、

その出来事などが「感情・気持ち・気分」を生み出しているのではないのです。

 

出来事それ自体が「感情・気持ち・気分」を生じさせているわけではありません。

 

では一体何が「感情・気持ち・気分」を生み出しているかというと、、、

 

その出来事を自分がどう意味づけたか

 

ということなのです。

 

その出来事が「嬉しい出来事だ」と捉えれば、嬉しい気持ちになります。

その出来事を「悲しい出来事だ」と捉えれば、悲しい気持ちになります。

 

これは、「出来事それ自体」が「嬉しい」とか「悲しい」ということとは違います。

 

あくまでも「自分がどう意味づけたか」なんです。

 

ところが、この「意味づけ」をしていることに、私たちは普通は気づきません。

なぜなら、この「意味づけ」は無意識にしているからです。

 

今までの自分の経験などに基づいて、

瞬間的に自動的に気づかないうちに

「意味づけ」をしてしまうのです。

 

そして、その結果生じてきた「感情・気持ち・気分」のまま

そのあとの活動をしてしまいます。

 

「心が乱れている」時には活動の質は上がりません。

普段なら出来ることでも失敗してしまったりします。

そして自分に悪い結果をもたらします。

 

では、この悪い結果はなぜ起きたのか?

心を乱すきっかけになった出来事のせいでしょうか?

 

違います。

 

自分の「意味づけ」のせいです。

 

今この瞬間の活動の質を決めているのは

自分自身なのです。

 

無意識かもしれませんが、それは自分がやっていることなのです。

 

このことを思い出すためにも、

 

「自分で決めている」

 

ということを習慣のように思い、口に出しています。

 

このことを思い出すたびに、

私は自分の活動は何があっても自分の責任なのだ

と覚悟が決まる感じがします。

 

今日もお読みいただいてありがとうございます。

 

では、また明日。