「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

全ては自分を満たすため

【全ては自分を満たすため】

 

「一流が、責任感で働くならば

 超一流は、自分のために働く」

 

以前に講演をお聴きした奥谷啓介(ケニー奥谷)さんの言葉です。

 

この言葉を聴いた時に、

もやもやしていた気分がスッキリしたことを覚えています。

 

責任感だけで働いていると、

 

「~ねばならない」「~するべき」

 

といつも考えています。

 

「相手のために、、、」

「組織のために、、、」

 

「~ねばならない」

「~するべきだ」

「~するしかない」

 

などと自分に制約をかけてしまう。

 

「相手のため」や「組織のため」を考えることは決して悪いことではありません。

 

しかし、「相手のため」「組織のため」とだけ考えていると

 

次第に自分を抑えて(我慢して、犠牲にして)「してやっている」

 

という気持ちになってしまうことがあります。

 

相手がこちらの期待通りの反応をしないと

 

自分はこれだけ我慢して「してやっている」のに、、、と

 

イライラしたり、がっかりしたりします。

 

そして、無意識に相手を「非難」し始めます。

 

「相手のため」に行動していたはずなのに、

「相手を非難する」ことになってしまう。

 

矛盾してます。

 

私自身も、ついそうなってしまいがちです。

 

「自分のため」というと、なんとなく

 

「わがまま」

「自分勝手」

 

なイメージになりますが、それは

 

「自分のため」だけ

 

のことです。

 

決して、「自分のため」に何かすることは

「わがまま」でも「自分勝手」でもないはずです。

 

「自分のため」にしているのだから、

その結果は全て自分で受け止められます。

 

また、良く考えてみるとこんなことにも気がつきます。

 

なぜ「相手のため」にしてあげようと思ったのか?

 

確かに「相手のため」なのですが、

それは「自分がそうしたかった」からではないでしょうか?

 

無理矢理、強制的にさせられていること以外は

自分でそうしようと決めたはずです。

 

自分の中で「そうしよう」と思う何かがあったはずです。

 

これは「相手」の問題ではなく、自分自身の問題です。

 

人は自分の感情を満たすために行動しているとも言われます。

 

そう考えてみると、私の場合

「相手のため」に何かをすること自体が、

既に自分にとって嬉しいとか楽しいとか感じられるものでもあります。

 

また、自分が何かしてあげているという

「優越感」みたいなものも感じます。

 

「相手のため」にしていることも、結局は

「自分の感情を満たすため」

つまり「自分のため」にしていることです。

 

「相手のため」と思って行動することだけで、

「自分のため」になっているのです。

 

そう気がつくと、

結果的に相手の反応がどうであれ

「自分のため」に既になっている。

 

腹を立てたり、がっかりする必要は一切ありません。

 

「一流が、責任感で働くならば

 超一流は、自分のために働く」

 

という言葉は、こんなことも含んだ言葉なのかもしれません。

 

「全ては自分のため」

 

堂々とそう思って行動できる自分でありたいな、と思います。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

  

では、また。