「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

何かを理由にやめた時、、、

【何かを理由にやめた時、、、】

 

何かを理由にして、自分の今までやってきたことをやめた時、

 

それは、どんな状況であったとしても

一つの事実しか表していません。

 

それは、、、

 

自分が諦めた

 

ということです。

 

これは最後まで「諦めてはいけない」とか

続けてきたことを「やめてはいけない」とか

言いたいわけではありません。

 

しかし、「やめる」というものが

本当に自分の「決断」かどうか

は大事なことです。

 

「やめる」という「決断」をするのに

色々と状況を判断するでしょう。

 

その上で「決断」するのだから

どうしても「決断」にも理由は存在します。

 

理由があってはいけないということでもないです。

 

しかし、その理由を自分以外のものに求める時、

それは本当の自分の「決断」になっていないかもしれません。

 

「決断」ではなく

「条件」に応じた「選択」

と言えるでしょうか。

 

最近、コミュニケーションでの問題を感じました。

 

相手の方は自分の見方からしか周囲の人間を判断していないように

私には感じられました。

 

その方とは長い時間コミュニケーションを重ねてきました。

自分の認知(意味づけ)を通して周囲を理解しているだけだと

どうしても視野も思考も狭くなり、

不必要な対立や衝突が絶えず起きてしまうこと、や

心が整った状態で活動することでパフォーマンスが上がること

など、私が日頃から考え実践していることを共有してきたつもりでした。

 

しかし、最近、自分からすると明らかに一方的なものの見方で

色々なことを決めつけての言動が気になり始めました。

とうとう、その決めつけは私に対しても行われました。

 

数回やりとりを繰り返しましたが、

私のお伝えしようとしていたことは

全く理解されていなかったように感じられました。

 

私はそれ以上のやりとりをすることをやめました。

自分の気持ちを伝え、それ以上コンタクト取るのをやめました。

 

数日経って、今、そのことを振り返っています。

 

相手の方は私も含め周囲の人のことを理解しようとしていたろうか?

恐らく答えはNoです。

そして、自分の見方からだけ周囲のことを決めつけて、

周囲と距離を置いたり、もう関わらないようにしようとしていました。

 

私の中で一番気になったのは、その部分です。

 

そうならない方が良いのではないか、、、

冷静に話している時は、それを本人も望んでいなかったはずだ、、、

中々、変えられないかもしれないが、変えていきたいと思っていたはずだ、、、

そうしたことを私は応援してきたのに、、、

 

なのに、結局同じことを繰り返している、、、

 

これではもう私は関われない、、、

 

そんなことを私は感じて、それ以上関わるのをやめようと思いました。

 

しかし、こうして振り返ると、

自分も相手と同じように相手に接していることに気づきます。

 

自分も自分の想い通りになっていない相手に対して、

そのことを理由に関係を切ろうとしています。

 

結局、相手を理由に相手との関係を諦めようとしています。

 

そもそも私は何を望んでいたのか。

 

相手によりよくなってほしい、と思っていたはずです。

相手もそれを望んでいました。

 

同じ方向を向いて、その変化を支えようとしていたはずです。

 

そうすると自分で決めたはずです。

 

しかし、最後までやり切らずに、私は諦めようとしています。

 

相手の所為にして、自分で勝手に諦めようとしています。

 

さて、これが自分の望んだ自分の「あり方」なんだろうか、、、

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

  

では、また。