「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

「能力の有無」より「それをどう使うか」

【「能力の有無」より「それをどう使うか」】

 

平日に朝のNHKのニュースをつけていると

 

「私は騙されない」

 

なんてテーマで、オレオレ詐欺に対する周囲を促すコーナーがあります。

 

このオレオレ詐欺は一向に減っている感じがしないですね。

 

ニュースや報道などで内容を知ると

「良く考えつくな」

などと思います。

 

変な言い方ですが、感心してしまいます。

 

そんな人たちを認める訳ではないですが

ある意味「賢いな」と思います。

 

環境や社会の変化に応じての発想力など凄いなとも感じます。

 

能力の有無で言えば、何らかの能力は優れていると言えます。

 

しかし、その「活かし方」が問題ですよね。

 

どのような方向で自分の力を使うか、、、

 

以前にも載せたこんな話もあります。

 

最近評判になって流行っているお店に二人の若者が行きました。 

注文してしばらく飲み食いした後の二人の感想です。

  

一方の若者は

 

「店はわかりづらいし、店員の接客もいまいちですね」

「味はまあまあですが、料理が出てくるのも遅いし、、、」

「正直、なんでこの店がこんな流行るのかわかりませんね」

  

もう一方の若者は

 

「メニューが豊富で、また、特徴のあるものが多いですね」

「狭そうな入り口でしたけど、入ってみたら広くてゆったり食事できますね」

「今人気がでているのも納得です」

  

というようなものだったそうです。

 

さて、この二人の若者の違いは何でしょうか?

 

「何かに気づいたり、何かを見つけたりする」という能力自体は

どちらも実は同じようなものです。

 

違うのは「その能力」をどのように使っているかです。

 

前者の若者は

 

不都合なこと

欠点

短所、、、

 

後者の若者は

 

納得できること

いいところ

長所、、、

 

を見つけることに自分の能力を使っています。

 

それだけの違いです。

 

しかし、この違いが様々なことで大きな違いになってくるかもしれません。

 

前者は評論家などには向いているかもしれませんが、

常に実践して成果を上げていくようなことには不向きかもしれません。

 

他者の欠点を探し、それを見つけ出す。  

 

そのことによって満たされるのは、

 

自分の優越心や虚栄心

相手より自分が上だと感じていたい心

 

基本的には、そういったものだけです。

それにより、自分を変えて成長させていこう、とはならないものです。

 

私自身がもそのような傾向が少なからずあるのでわかります。 

 

他者の良いところを素直に認め、

それを自分に取り入れていくことができれば、

自分を成長させるヒントはいたる所に見つけられます。

 

どちらを選ぶかは、自分で決められます。

 

「能力」は確かに生まれ持った「才能」のようなものもあり、

その違いはどうしようもないように感じてしまいがちです。

 

しかし、大抵の「能力」は伸ばしていくことができます。

誰でも一定の「能力」を身に着けることはほぼ可能です。

 

一方「それをどう使うか」ということは、

意識すれば簡単にできることのように思えます。

 

しかし、この「意識する」ことが思いの外、難しいです。

「習慣」になっていないのです。

意識や考え方自体も「習慣」になっていないものは、

実現し続けることが困難です。

 

自分の力をどのように使うか、ということは

自分の物事の「判断基準」に関わっていることです。

 

普段、無意識にどのような「基準」で判断しているか。

 

そのことに気づくことが大事です。

それに気づいた上で、本当はどうしていきたいかを考えれば

この「基準」を書き換えていくこともできます。

 

私は、

 

自分が「成長」すること

他人に「貢献」すること

 

を大事にしていきたいと考えています。

 

今の自分の「能力」をそのようなことに使っていきたいです。

 

その基準に沿った行動をしているか、自分の行動を振り返り、

判断に迷った時はこの「基準」にしたがって決断する。

 

こうしたことを繰り返すことで「基準」を変えていけます。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

  

では、また。