「注意力」は高められるのか?
【「注意力」は高められるのか?】
「注意の錯覚」が今週のテーマです。
目の前で起きていることを私たちは全て認識できている訳ではない。
それにも関わらず、私たちは大事なことは全て認識できている
と思い込んでいるのが「注意の錯覚」です。
これは避けようと思っても、
おそらく避けられないものだと思います。
このことに限りませんが
不都合なことや適切でないことなどをなくしてしまおう
と私は考えてしまいがちでした。
テストに例えれば、
「○(まる)」だけを取らないといけない
という考え方です。
「×(ばつ)」はダメなもので、あってはいけません。
そのように思い込んでいます。
テストであればそれで良いかもしれませんが、
現実はそれだけではありません。
「○」が良くて「×」がダメだということもないです。
「○」と「×』は違う、ということだけです。
どちらかが「間違っている」ということではなく
単に「違っている」ということだけでしかありません。
「○」であれ「×」であれ、
その状況を受けて次にどうするか考えて行動していくだけです。
「×」をとらないというアプローチもありますが
「×」があることを前提にするというアプローチもあります。
「注意の錯覚」は誰にでも、いつでも起きています。
(おそらくその可能性は高いです)
多分、人間の本能みたいなものだと私は思っています。
だから、これを「起こさないようにしよう」というのは
かなり難しいことなのだと感じています。
だから、
「注意の錯覚」をしないようにしよう、
ではなく、
「注意の錯覚」をしていることを自覚する
ということを意識しています。
自分では気づかないから「注意の錯覚」です。
「自分では気づいていない事が常にある(かもしれない)」
と意識する事です。
「思い込み」が多くの問題を引き起こします。
特に「人間関係」の問題は、
この「思い込み」が発端であったり
問題をこじらせたりしてしまいます。
自分の勝手な「思い込み」に囚われ、
心が揺らがされ、乱れた状態になってしまいます。
自分で自分の力の発揮を妨げてしまいます。
「注意の錯覚」に気づかないままでいると
「心を整えて、最高のパフォーマンスを発揮する」ことが出来ません。
その意味でも、
今週のチャレンジは私にとってとても大きな意味を持ちます。
「自分で気づいていない事がある(かもしれない)」
「自分が全てを分かっている訳ではない」
「自分にも相手にもそれぞれに見えていないものがあるのが普通のことだ」
まずはこんなことを、何かにつけ思い出すことから始めています。
今日もここまでお読みいただきありがとうございます。
では、また。