「習慣化」でうまくいく〜二つの「トトノエル」の実践

何事でもうまくいくための「習慣」を身につけるために、私が日々実践していることを中心にお伝えします。

「育てる」ということ

【「育てる」ということ】

 

以前の自分の書いたものを読みながら、ふと考えました。

 

人(部下、選手、子供etc)を「育てる」ということが

「人を操る」ことになっていないだろうか、、、

 

「操る」というときつい言い方に聞こえるかもしれませんね。

 

「自分の思い描くように、相手になってほしい」と思い

そのように仕向けるようなことをしていないだろうか、ということです。

 

私の感じ方では「育てる」という言葉自体に

 

「自分の力で相手を何とかしてやる」

 

という感じが含まれてしまう気がします。

 

人は「育つ」もの。

 

「育つ」ということは

 

その人の本来持っている可能性が

どんどん発現してくること

 

だと私は考えます。

 

だとすれば、「育てる」ということは

 

外から何かを付け加えることではなく、

 

その人の内部にあるものが遮られることなく出てくるような

 

「環境を与える」ことであったり、

 

そのように「環境を整える」こと

 

ではないかと思っています。

 

何かが足りないから、付け加えないといけないと思っていると、

 

自分の思うようにしてやろう

 

という気になってしまいがちです。

 

無意識のうちに、

 

そもそも相手は出来ない奴だからと見下して、

 

自分が何かをしてやろう、

 

という気になってしまいがちです。

 

「足りない」のではなくて

「うまく出せていない」だけなら、

 

邪魔なものをどけて

相手が動きやすいようにしてあげる

 

だけでこと足ります。

 

相手のことを手助けしてあげるだけです。

 

あくまでも主役は相手。

 

「育つ」のは「相手」であり、

「相手」が「育ちやすい」ように「自分」は「手助けする」だけ。

 

「育てる」ということは、

 

相手に自分の思い通りの行動をとらせたり、

相手が自分の意のままになるようにすること

 

ではないと思います。

 

しかし、実際の行動を省みた場合、、、

 

必ずしもそうしていない自分であったことにも気づきます。

 

こうしてそんな自分に気づくたびに

 

人の可能性を信じ、

信頼し見守ることの出来る自分でありたい

 

と強く思います。

 

そんな自分に一歩でも近くために

こうして気づいたことを自戒も込めて書いています。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございます。

  

では、また。